浅野の過去

裏方であることの美学

浅野が何回も見ている映画の中に
「植村直己物語」
という映画があります。

植村直己物語

1986年製作なので。26年前に作られた映画ですね。
登山家・冒険家の植村直己さん。
世界初の五大陸最高峰登頂者。
1984年マッキンリー世界初の厳冬期単独登頂を果たした後。
消息を絶ってしまい行方不明のままです。
浅野が中学生位のころは彼が極地圏に挑むときは
毎日のように大きな記事になっていて。
すごいな~ってワクワクしてその記事を読んでいました。
この映画の中で。
奥さまの植村公子さんの姿も描かれているのですけど。
これがまた感動する。
直己さんは自分のやりたいように動くので。
何か月も日本に帰ってこない。
いつ帰ってくるかもわからないし。
帰ってきたと思ったらまた次の計画を勝手に決めて
出て行ってしまう。
スポンサー集めなどでイライラして帰宅してくる直己さんを
叱咤激励したり。
落ち込む直己さんを励ましたり。
直己さんが極地で「きみちゃーーーん」と叫びながら孤独と闘う
シーンも出てくる。
人を支える役目の人は。
スポットライトを浴びないので。
時にそれをコンプレックスに感じてしまう人がいます。
「私には何にもない」って思ってしまう人がいます。
でも。
表に出るばかりが自分の力を発揮するっていうことじゃないですよね。
人を支えるプロフェッショナルになることも。
それもまた自己実現の一つとして立派に存在するべきだと思う。
何にもないって思うから。
人を支えることにパワーを出せるときってありますよね。
公子さんは。
直己さんにプロポーズされて。
母親にそのことを告げた時。
母親は無職の直己さんを旦那にすれば。
彼女が苦しむと思い反対するけど。
公子さんは
「生まれて初めて自分が必要って言われたの」
って泣きじゃくってお母さんに謝るシーンがあった。
公子さんは下町の豆腐屋に生まれ。
兄が豆腐屋を継ぎ、母との3人暮らしでした。
体が弱く勤めに出ることができず。
迷惑をかけて生きているっていうコンプレックスがずっとあった人。
そんな彼女が。
当時、世界の冒険家として活躍していた直己さんを支えていたんですから。
自分が求められているっていう気持ちが。
人を支えるパワーに変えた時って。
強烈な力が出るものです。
今、子育てをしているお母さんや。
旦那さんを支えている奥さまだって。
必要としてくれるひとのために
100%のチカラを振り絞っている人を。
浅野は尊敬します。
浅野の母も専業主婦でしたけど。
毎日子供のために尽くしてくれました。
男3兄弟だったので大変だったと思う。
自分を必要だと思っている人を支えることが大切な時期なので
あれば。
思いっきりそこにエネルギーをつぎ込んでくださいね。
絶対に無駄にはなりませんから。
その時期に。
必ずあなたの心の中に自分はどうなりたいかをイメージする
エネルギーが蓄えられてきます。
その後に、表舞台に出たいというときは。
いっしょにやりましょう!
ザ・プロフィール講座認定講師 浅野ヨシオのブランド人への道

コメント

タイトルとURLをコピーしました