1月1日は。
実家(と言っても今住んでいるところから20分くらいだけど)
に兄弟全員が集まるのが浅野家の1年のスタート。
その帰りに。
浅野が27~28歳のときまで一人暮らしをしていた
アパートを見に行きました。
それがコチラ↓
当時は家賃5万5千円。六畳の和室に3畳くらいの広さの
キッチンがあった。
な・・・なつかしい。。。(涙)
この時期にちょうど友人がパタパタと結婚してしまい
ひとりになってしまったころ。
『よし!俺も結婚するぞ!』
と
このころ27年間彼女がいない歴継続中の 浅野青年は
奮起して。
家電品もでかい冷蔵庫。でかいレンジなど単身者向けの家電品を
買わないでファミリー向けの家電品を買ってこの部屋に押し込んだ。
大学時代の先輩夫婦がこのアパートに一度来たときに
「浅野さんほんとに彼女いないの?もう誰かといっしょに住んでるみたいな部屋ね?」
と言わしめたくらい気合い入ってました。
そこから結婚相談所・お見合いパーティーなどなど婚活スタート。
・・・最終的に「お見合いサイト」に出会って開花。
「その後の3年で2度結婚した」というプロフィールの素が生まれた。
この頃はADSLとかもなくて。
電話回線につないで「ぴ~ヒョロ ~」なんて
音立てながらネットにつなげていた。
家に帰って来て、一番最初にやるのはPCの起動。
昔のPCは起動に時間がかかったなぁ。2~3分かかったんじゃないかしら。
起動するまで
その間に雨戸を閉めてエアコンつけてなんて。。
そしてメールチェック。
「あ~ 返事が来なかったか」「お!来た来た!」
など一喜一憂しながら
女性にメールを打ちつづけた。
毎日。毎日・・・
お見合いサイトに登録している
女性には死ぬほどメールが集まってくる。
その中で自分のメールを読んでもらい、会ってもらう・・・
なかなか最初は返事ももらえなかった。
トライ&エラーの連続。
その頃は必死でした。
朝までメールを書いているときもあった。
どうすれば返事をもらえるのかをずっと考えて
書き方を変えていったらポツポツと返事がかえってくるようになり。
最終的には
前のカミさんも今のカミさんもネットで見つけ出すことになったけど。
その数200人以上の女性とメール交換し。会いまくった。
ふつーのOLさんや経営者のひと。助産婦さんや保母さん
ロサンゼルスに住んでいる方ともメールのやり取りをしていたときもあった。
そのときは必死なだけだったけど。
まさかあのとき培ったメールノウハウが
こうなるとはねぇ。。
浅野にしてみれば モテなかった男が
「ほかに方法がないから」メールを書き続けていただけのこと。
価値があるなんて思ってもみなかった。
コンプレックス以外のナニモノでもないので人に話す
こともなかったし。
この「メール」というものに価値があると
土井英司氏に見いだされて
出版に至った。
必ずこんな人がいる。
自分のように自分の価値がわからない人がいる。
そう強く思ってプロフィール講師になり。
そんな強みに気付かないで生きている人の
背中を押す仕事をするようになった。
1月スタートのプロフィール講座あさの組4期生。
どんな人と出会えるのか。
楽しみ。
http://www.eliesbrand.com/asano.html
しかし懐かしかったこのアパート。
浅野が住んでいた時は浅野以外はすべて女性だったのがなんとも皮肉な
お話。
布団を干したりせっせと洗濯したり掃除している
回数は。
どの部屋の女性よりも多かったかも(汗)
この頃は「みじめな独身生活はしたくない」って意地になって
やっていたころでしたから。
なつかしい・・・・・・
コメント
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昨年は大変お世話になりました。
今年もよろしくお願いいたします。
自分の価値に気づくという言葉が
胸に刺さりました。ご著書の技を
幾つか使わしていただいております。
感謝しております。m(_ _ )m
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ありがとうございます。
自分の価値は自分では気づかない。
これを実感しています。
本のノウハウを活用して
くださってありがとうございます!
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浅野さん、こんにちは!
どんなに腕の良いマッサージ師でも
自分の肩はもめないように、自分の
良いところを一番引き出せるのは
「他人」である、という話を聞いたことがあります。
まさに!!ですね(‐^▽^‐)
いつもありがとうございます♪
感謝です♪♪
毎日がおはようの笑顔で始まり、
ありがとうの感謝で終わる素敵な一日でありますように☆
ミッションブランディング代表
AICI認定国際イメージコンサルタント&コーチ
澤口 珠子