浅野の過去

自分の人生のフルコースを楽しく味わう生き方

4月21日開講する 

浅野塾 スーパーアドバンスコース
 『自立する「女性のビジネス」確立講座』で講義をしていただく

4名の講師陣の初陣として登壇する

鴫原弘子講師。

シューズブランド「JELLY BEANS(2007年2月・ヘラクレスに上場)」を育て、

業界の注目を浴び、ファッション業界を中心に、多数のブランド

プロデュースを手がけたブランド構築の達人。

浅野がプレジデント誌に登場した際の、こちらのスタイリングも彼女が
手掛けたもの。

浅野はファッションというものには全く興味がない。

でも彼女のスタイリングには。

「魂」を表現するものがある。

その人が持っている素養を。的確に装いを通して表現して。

世の人に伝える。

1ミリ単位にまでこだわって販売員さんに指示を出してお直しをさせる。

「ブランド名」には一切踊らされず。高級なネクタイピンやカフスを選んだかと

思うと。5000円均一のメガネショップに行って浅野のメガネを選んだりもした。

天然光の下ではどう見えるかとか、デジタルカメラで撮影してどう見えるかとか・・・

「匠」の世界とはこういうことかと衝撃的な経験でした。

ブランドを構築するとは。

過剰な表現をするということではありません。

それは虚像になってしまいます。その人が持っている能力やらしさを

「的確に伝えること」。

装いのことだけではなく、

鴫原講師には「ブランドの本質や女性の生き方」を受講生に注入していただこう

と思いまして依頼しました。

一見、華やかに見える世界で生きてきた鴫原講師。

でもそこには。女性が対面する様々な境遇との葛藤がありました。

彼女のホームページに。

それが書き綴られています。

下記にその記事を抜粋して書かせていただきます。
原文記事:http://www.mistgray.jp/company/index02.html

長文になりますけど女性の方はぜひ読んでください。

鴫原講師の生き方が伝わってきます。
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『感謝・寛容・慈愛を抱き、人として美しく』
   
ミスト グレイ  鴫原 弘子    

皆様、はじめまして。「しぎはらひろこ」と申します。
幼少の頃から、「綺麗なモノ」が大好きでした。朝露に光る、ダイヤのように輝く水滴・雪の結晶・太陽光に宿る光のプリズム・・・オウムガイの断面の完璧な螺旋・真珠の持つ何千色もの色・・・・大自然の織り成す「壮大な芸術」は、いまだに見飽きる事がありません。お絵描き・塗り絵・お人形さんの洋服作り・・・子供の頃の夢は『綺麗なモノを作り出すお仕事』でした。
中学生の時、まだ、日本にデザインという概念が育つ前から、「工芸図案科」として、多くのデザイナーを輩出してきた、歴史ある「県立神奈川高校・産業デザイン科」の存在を知り、デザイナーを目指し、進学致しました。日本のデザイン史に新風を送り込んだ、多くの実績ある先輩方の学ばれた学び舎で、多くのことを、学べた事、時を経て尚、親交のあるデザイナー仲間に出会えた事を幸せに思っています。
   
「好きな事」だから、努力を『探究心』と捉え、夢中で、仕事をした20代。
   
    デザイナーの見習い業務の一日はかなりハードです。

布地のストックルームから、先輩の指示にしたがって、重い反物を一日に何度も運んだり、素材に合わせて、リボンや、ボタンを染めたり、肉体労働でした。仕事が終わると、デザイナー仲間と、原宿や、六本木に繰り出し、クラブなどで、ファッションチェック!
そんな中、一足先に帰宅し、自宅でひたすらデザイン画を書いていました。
おかげさまで、24歳の時に異例の速さで、自身のブランドを持つことが出来ました。
が、思うように売れなくて、「ブランドを成長させる事」の厳しさを身を持って体験しました。この苦い経験が、後に、どれほど役に立ったかは、言うまでもありません。
   
   
26歳の時に、青山に「古着とアンティーク」のお店をオープンしました。3ヵ月に一度、『イギリス」に買い付けに出かけていました。デザイナーの仕事を続けながらではありましたが、急がしく、楽しい毎日でした。

洋服の歴史の深いイギリスで、アンティークのドレスや、仕立ての美しいメンズ服・本物のビクトリアンアクセサリーに触れる事は、美意識を磨く為に、とてもよい勉強になりました。このとき扱っていたイギリス製のドレスが好評で、アンアン等の雑誌にご紹介いただいたり、友人の結婚式用に、とても喜ばれました。
   
出産・仕事・子育て、忙しくても、楽しかった、30代
   
   
30歳を目前に、「ミストグレイファッションプランニング」として独立しました。おかげさまで、一千万円の売り上げスタートでの、順調な立ち上がりでした。クライアントも一部上場を中心に、デザイン~MD~戦略へと、仕事の幅も広がりました。

32歳の時に、娘を出産しました。妊娠中に大きなプロジェクトを抱えていた為、7ヶ月目の出張時に、「逆子」になってしまい、帝王出産を余儀なくされました。が、妊娠中の徹底した、自然食のおかげで、母子共にとっても丈夫でした。    
仕事を止め、子育てに専念してくれた主人のお陰で、出産2ヵ月後に仕事復帰致しました。子育てと仕事の両立は、大変な面もありますが、子供の可愛さを前にすると、全ては、小さな悩みに思えてしまいます。
   
35歳の時、山手の自宅を総リフォームしました。
この時は、デザイン・図面・資材手配を、ミストグレイ、施工を工

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