卒業生インタビュー 三橋亜紀子さん
『女性ための自分力養成講座(2期)』卒業生
■三橋亜紀子さんへのインタビュー
カルロス・ゴーン氏就任前から、日産自動車で、仕事をしていた三橋亜紀子さん。
転職の経験もなかったのに、浅野塾卒業後、結婚・そしてオーナー業に転身という華麗なる人生変化を起こしました。40歳を過ぎてから巻き起こした、人生の変身のお話を、お聞きしました。
◆日産自動車という、安定を絵に描いたような企業にお勤めだったにも関わらず、
なぜ浅野塾にいらしたのですか?その理由や、きっかけを教えてください。
1999年、日産自動車が外資系になりました。カルロス・ゴーンさんの登場です。その後、日産の変化の中で、女性の管理職を増やすという風潮が年々強くなっていきました。浅野塾に来る直近は、「部署全体の何パーセントかの女性を管理職にしよう」と具体的な数字まで落とし込まれるミッションとなっていました。
それまでは優秀な人が、たまたま女性だったとか、個人の実力をベースにした、そういう雰囲気だったのに、今度は「女性の中から」という視点で区切ることに違和感がありました。元々、あまり昇格には興味がなかったのですが、上の人からの勧めもあり、自分も昇格試験を受けるようになりました。
でもその試験に落ちたとき、合格した人たちの姿を見ていると、「自分はこの会社に必要とされていないな」という思いが浮かぶようになりました。
最後に私は、上司に向かって「昇格試験を受けません」と宣言するようになりました。なぜなら、試験に受かるためのプレゼンの訓練をしたりすることを、必要とされていたからです。
でもそれは仕事なのか、という素朴な疑問が湧いたんです。昇格試験を受けなくなった私は、この会社でどうして生き残ればいいのかという思いが浮かぶようになりました。そのための、自分の強みはなんだろうと思い始めたのです。
私は当時付き合っていた彼(今の旦那さん)の勧めで、浅野塾を知りました。
実はその前に、別の先生のセミナーに参加していました。でも、自分の悩みを解決してくれるのは、この人じゃないかもと感じたのです。
そのセミナーは、出版を目指す色が濃い感じがしたのがその理由です。
それを彼に伝えたところ、自分の強みのことだし、女性だし、それだったら浅野先生だと思うよと、彼が教えてくれたのです。そのときに、たまたま浅野塾の募集のタイミングでした。
◆彼からの紹介で、浅野塾を知ったのですね。では、実際に、入塾してからの心境の変化をお聞かせください。
浅野塾で学んだ「使命力」っていう言葉が衝撃的でした。今の私のこころの核になっています。
日産という会社は大好きでしたけど、その業務の中に、自分の使命は、あるのかなという思いがフツフツと湧いてきました。
そして、ワークを重ねて、自分の強みと言っても、日産の仕事のことしか出てきません。日産の部署でこんなこと、あんなことをしてきたと書いても、それがほんとうの使命なのかと、どんどん違和感が増してきました。
浅野塾の入塾前は、日産の中で活かせる自分の強みを見つけようと考えていたのですけど、日産の中では、それはないなと気づき始めたのが入塾中の心境です。
◆浅野塾で学んだカリキュラムは現在、何の役に立っていますか?具体的に教えてください。
過去からの自分の掘り起こしが一番役に立っています。自分発掘も、そうなんですけど、相手の強みも見抜けるようになっていると思います。
その人のルーツを聞くことによってわかるみたいな。それは今の仕事に直結しているので、すごく役立ちます。現在の私の業務で重要なものは、社員の教育や、マネジメント(管理)です。
その人たちの、悩みとか欲とかが、以前より分かるようになりました。とても仕事に活かされています。
他に役に立っていることは、影響力の有る自己紹介を意識してできるようになったことですかね。今は経営者になりましたけど、支援してもらうことは必要です。そこで、応援してくれる人たちに、自分がどんなことをしてきたかを、しっかりお伝えしないと信用が得られないのです。自分では経歴の中で、何を伝えればいいかわからなかったので、それは元・プロフィール講師の浅野先生のおかげだと思います。
あともうひとつ役に立っていることがあります。「使命の視点」という自分の考え方についてです。
今までは、自分がどうしたいかとか自分のことしか、考えられませんでした。それが「誰のために」という視点をいただいたことから、自分が昇格試験を受けたらどんな人が助かるのかなとか、そんな他人目線の基準が自分の中にも芽生え始めました。
自分が行動することによって、他の人にどんな影響を与えるのか。その視点が生まれたのが大きいです。
その視点があると、自分の軸がはっきりするので、行動するときの迷いがなくなるんです。
自分はやりたいけど、人のためにはならないから、やめておくとか。逆に、自分はあまりやりたくないけど、人の役に立つのであればやってみようとか。判断基準がはっきりしたのでブレなくなりました。
本当の自分との出会い
◆「浅野塾を卒業してから」どのように心境が変化しましたか?
卒業した直後は「使命力」という言葉が、頭にこびりついていました。自分が役に立てる人に対して発信するときには、自分自身をアピールしていいということもわかりました。当時、全国の日産ディーラーの店長教育をする部署に所属していました。その業務の1つに、月に1度、2,100人の店長に向けてメルマガで有益な情報を発信する、ということがありました。私は、それまでは「人財教育支援部です」と「部署名」でメルマガを配信していました。
でも浅野塾の卒業後には、自分の名前も名乗るようにしたのです。
「小島(旧姓)亜紀子からのメールです」と。私という人がきちんと配信していますよという気持ちを込めてです。
そのメルマガの編集後記は、それまではメーカーからの有益なお知らせみたいな通達のようなものでした。でもそれを私の名前で、自分が考えた、お役立ち情報を書くようにしたんです。
そうしたら、メールの開封率が10%以上、上がりました。
それまで、メーカーに対して、ディーラーは必ずしも好意的でないのは知っていました。メーカーは売れ!売れ!ですから。冷めた目でメルマガを読んでいる人もいるのです。
でも「使命力」を学んでいた私は、
「日産の誰だれのために仕事をしているのではない。ディーラーの店長のために、私がメルマガを書いているんだ。自分の思いをしっかりと店長に伝えなきゃ」と思えるようになりました。
その思いが、ディーラーの店長に伝わったのだと思います。
この経験から気づいたことがありました。昇格試験を受けないと宣言したからこそ、自分はある意味、楽になりました。私らしくやっていい。上におべっか使わなくていいんだ。私は自分らしく、店長のためだけにやりますと、そういう生き方も、有りなんじゃないかなと思えたんです。ふっきれました。
そうこうしていたら、衝撃的なことが起こりました。私が送信していたメルマガに返信が来るようなことが起こり始めたのです。メーカーからの「メルマガ」にですよ。信じられませんよね。
でも事実です。もう、うれしくなって、使命力って、ほんとにスゴイと心から思いました。
人のために動いたら自分のためになるとは、こういうことなんだと腹落ちした瞬間でした。
そして、このときに思いました。もう「日産」という会社のブランドがなくとも、「小島亜紀子」という自分の名前のブランドでいいのかもしれないと確信めいたものが心の中に浮かびました。もう「日産」っていう名前が自分に必要ないのではないかなと。そう思えるようになれたのは、浅野さんのおかげです。私はそれくらい「使命力」という言葉が衝撃的でした。今は、自分がやることが人のためにならないことはイヤですし、役に立たないのならば、どんなに自分にメリットがあることでも、やりたくありません。
◆浅野塾の卒業直後に結婚されましたが、結婚して何が変わりましたか?
「責任感」が強くなりました。人生の目標を、一緒に歩めるパートナーができたのは大きいです。結婚するとなると、人生の目標の一致は、とても大事だと思います。
私は特に、そこを大事にしていて、結婚する人は、同じ目標を歩める人としか結婚しないと決めていたのです。だから、40歳過ぎたのだと思います(笑)
同じ道を歩むパートナーの健康を考えたりもするようになりました。目標に向かっているのは、自分だけではないということからの責任感です。
◆年齢のことを公表して恐縮ですが、40歳を過ぎてからの結婚で、良かったと思うことを教えてください。
若い頃は、自分のビジョンうんぬんとは考えられなかったので、そのまま突っ走ってしまうと思うのです。
そのような感じですから、もしかしたらパートナーになる人を間違えてしまう可能性もあったかもしれません。でも、40歳を過ぎて、それなりに人生の経験を踏まえてきて、自分の人生のビジョンがはっきりしていたので、それに合う人しか好きになれないし、そんな人としか結婚しないだろうと思えました。
そして、そんな人に巡り会ったときに、そのビジョンの実現スピードの早さが全く違うように思いました。
今、ずっと思い描いていた、自分の夢がどんどん叶います。これは若いうちに結婚していたら少なくとも私には起こり得なかったことではないかなと思うのです。
若い人の結婚を否定するつもりは、まったくありません。でも、年齢を重ねてからの結婚にも、何の卑下をする必要もないと思っています。
なぜ劇的な転身ができたのか
◆今はどのようなお仕事をされているのですか?なぜそのお仕事を選んだのですか?
今は、オーナー業です。ストレッチ専門店のフランチャイズオーナーです。店舗としては比較的大きい規模になります。
元々このビジネスは夫がやろうとしていたのですが、ちょうどその頃の私は「もう日産ブランドは自分には必要ないかも…」と口に出し始めていました。そんなある日「じゃあ君がやれば」と夫が言ってくれたのがきっかけです。
そのときの私は、自分が日産で教育の仕事をしていたことから、できるかもしれない!と思いました。オーナー業というのは、店長とか従業員の教育じゃないですか。財務的なことも詳しいわけではないけど、少しだけ携わっていました。もしかしたら自分の強みが生かせるかもと思えたのです。
もしも浅野塾で学んでいなかったら、今の自分はないと言えます。なぜなら、それまでは使命力もないし、自分の強みもわからなかったので、「私は平社員で実績もないからできるわけない。私は日産にいるから生きていけるのよ」と断ってしまったと思います。
私は思うのですけど、何かチャンスをいただけるときって、自分ではわからないけど、人はちゃんと自分の価値というか、強みを見抜いていると思います。そして、その要素は自分の過去の中に、必ず何かリンクする実績や経験がある。その瞬間には自分ではわからなくても、いただいたチャンスにのっかっていけば、後から考えると、あの経験が今につながっているなと気づく時があると思うんです。
◆起業し、社長になって今の心境はいかがですか?うまくいってますか?
とにかく自分の過去に起こったことや、やってきたことが全部役に立ってるなぁって実感できて幸せです。
日産は本社だけでも社員が2200人位いるんですけど、私はかなり運が良い方だと思います。約5年くらいのサイクルでほぼ希望通りの部署に移り続けることが出来ていました。その経験は、今すべて役に立っている!と心の底から思うのです。
仕事は、うまくいってます。昨年(2013年)の10月にオープンしたのですけど、同期開業店の中では、1~2位くらいの売上を上げていますし、全店舗で見ても、約60店舗中のトップ20位以内くらいには毎月入るくらいの優良店になっています。
◆素晴らしい転身劇ですね。では、今後はどのような活動をされますか?
自分が人の役に立てるものをブレることなく、自信を持ってすすめられるものを提供していきたいです。ストレッチは健康維持・アンチエイジングのために必要不可欠なものなので絶対にお役に立てます。今後は、美容の世界にも関われたらなと考えています。女性が年を重ねてもイキイキと活躍するのと、いつまでも美しくいたいという想いは比例していると思います。今後はもっと加速するでしょう。美容品の素材にもとことん拘った真に美しく健康になれるホンモノを提供していきたいです。
進路に悩んでいる女性がするべきこと
◆最後に、自分の生き方に迷っている女性にメッセージをお願いします。
起業する・しないとか、会社を辞める・辞めないとか悩んでいる人には、自分を振り返って自分の強みは何かを、同じ気持ちを持った仲間といっしょになって真剣に向き合うことを、人生に1回だけでいいのでやってみたほうがいいと思います。
それは、年齢は若くてもいいし、私みたいに40歳になってからでもよくて、一歩踏み出すことに悩んでいたら、まず最初にやることは、それです。
世の中には、強みを見つけるというようなセミナーも多く存在しますけれど、どれも1~2日でやるものなので、無理やりどこか結論を出す感があります。
でも、私が思うに自分の中から掘り起こそうとするならば、やっぱり数ヶ月単位の時間が必要だと思うのです。なぜなら、自分でも忘れていたような、生まれたときからの話は、短時間で思い出せるはずないんですから。
浅野塾は、自分の強みを見つけるだけのところではないと思うのです。自分の強みと関係無くても、自分の過去にお世話になった人を思い出せたり、感謝の気持ちが沸いたりもします。
あのときはわからなかったけど、今は、あのアドバイスの意味がわかるとか。
私は浅野塾を卒業してから、お礼を言おうと、連絡をとった人が何人かいるくらいです。
これからの自分を作るときに、一番大切なことは、自分の強みを見つけることではなくて、
自分の過去すべてに価値があり、ありのままの自分でいいんだよと気づくことが大事なのだと思います。そんな気持ちに自然にさせてくれるのが浅野塾なのではないか思いました。
◆お忙しい中、貴重なお話ありがとうございました!