浅野の過去

彼女がブランドを手に入れた本当の理由

先日、ご紹介した「800日で著者になった女性」。

「NHKキャスター」と言われると。

この記事を読んだ方はもしかしたら自分との距離感を感じるかもしれません。

それは言葉の「色」というもので。

人が誰しももつ「偏見」です。例えば。「メルセデス・ベンツ」と言われれば。
イコール 「高級」「ハイグレード」などと思考にスイッチが入る。

私もそうでした。

キャスターっていうと華やかさを感じますし。
天井人のような感じもします。

でも彼女は。
そんな色が吹っ飛ぶような状況の女性でした。

彼女と最初に会ったのは2009年12月23日。

講師養成のセミナーでした。

浅野も受講生として参加していて。

彼女がワークで自己紹介の発表をしているときに

「かわいいね~」

と浅野がちゃちゃを入れて彼女が

「ありがとうございます!」

って自己紹介しながら反応してた。

これが彼女との出会いでした(笑)。

その日に彼女と会話を交わしたのはそのときだけ。
名刺交換も何もせず。
帰宅しました。

2009年12月25日。
クリスマスの日。毎年お約束のこの時期は、
山下達郎さんやマライヤ・キャリーのクリスマスソングがにぎやかに流れているとき
です。

浅野の公式サイトの「取材依頼フォームから1通の問い合わせが。

いや、問い合わせではありませんでした。

彼女からの挨拶の言葉でした。
ご自身が自己紹介ワークのときに
声をかけてもらったお礼などが書き込まれていました。

そしてメールのやりとりを重ねお会いすることになりました。

年明けの
2010年1月4日。

年始のあいさつ回りに走る時期。
とてもいい天気で、冬にしては暖かい日でした。

電車も空いていて移動がしやすかった。

彼女と某駅で待ち合わせ。少し郊外の
当時お住まいだったマンションの近くの駅。
空気のきれいなところでした。

駅近くのイタリアンのお店で再会。
浅野は人の人生史を聞くのが大好き。

彼女にたくさんの話を聞きました。

彼女は報道の仕事をしているので
取材をすることはあっても取材されることは当時はありません。

それだけに浅野が質問をすると

「なんだか自分のことを聞かれるのって戸惑う」

と驚かれていました。

只、けっして明るいお話ばかりではありませんでした。

その時に。

彼女の旦那さんが余命宣告を受けているお話。

お子さんが二人いらしてまだ幼稚園・・・。
彼女自身がお子さんを育てなければならない状況。。。

その当時。

浅野はプロフィール講師をやっていてセルフブランド構築の講師。

名前でネット検索をしていたときに。
この講座の存在を知ったそうです。

3年間。プロフィール講師をやってきましたが。
彼女は人生を賭けて。
この講座に申し込んできました。

この当時。

今思えばまだ駆け出しの講師。
つたないころだったと思います。

そして受講中の彼女は、お世辞にも優秀な受講生ではありませんでした。

ワークもほとんど書くことが出来ず。苦しんでいました。

実績を書くにも。
彼女はかたくなに「私には実績がない」の一点張りで。

キャスターのお話も殆どしてはくれませんでした。

そこで彼女には。自分史を書いてもらいました。
彼女の生い立ちから今までどのようなことがあったのか。

その中には。

壮絶な彼女の人生史が書き込まれていました。

代々続く医師家系に生まれていても、
ご自身は医師にならずに肩身の狭い思いをしていたこと。

競争の激しいキャスターの世界で。
彼女が生き抜いてきた人生史は。
すさまじいものでした。

彼女はNHKキャスターとしては現役最長記録を持っています。
でもその裏側には大変な努力があったのです。

彼女と話をしていると
「ほんとうにキャスターなんですか?」と聞き返したくなるような
ふつーの話し方をします。

妙に滑舌がいいとか。腹式呼吸がなんちゃらでドーーンと通る声を持っているとか。
そんなことは一切ありません。

どちらかというと。
あまり声は大きな方ではなくて。

キャスターが向いているとは今でも思えません

そんな彼女が思考錯誤を重ねて。

独自の手法を編み出して。
「向いていないキャスターの世界で生き抜く術」を作り上げていきました。

そんなことが講座中の4カ月間で。
少しづつわかってきました。

最後の最後まで困難を極めた彼女のプロフィール作り。

私自身も苦しかったです。
これだけの逸材でありながら。ブランド要素が見つからない。
彼女よりも実績のあるキャスターはたくさんいる。

単純な「話し方」ではブランドにならない・・・
自分の未熟さを嘆き、日々葛藤していました。

でもそれを受講生の前で出すことが出来ず。
いつも恐怖感に包まれていたのをよく覚えています。

2010年4月3日。

入学式のシーズンです。桜も綺麗に咲き誇っていました。
そんな中、彼女が卒業プレゼンに挑む日。

彼女がこのときに決めたテーマは「選ばれる技術」。

ご自身が競争率の激しいNHKに入局出来たり
視聴率20%を記録したこともある。

政治家へのスピーチトレーニングで当選を勝ち取ったり。

就活生の面接スピーチ指導で合格を勝ち取ったり。

そんなスキルがあることに気づいたからです。

彼女は自分が大変な「無茶」をしてその席を勝ち取った。
でもそんな無茶をしなくても。

自分が指導をしてあげれば。思いの方向を実現できるという
プレゼン。

彼女の渾身のプレゼンは。

他を圧倒しました。

4カ月間。彼女はのどを掻き毟るようなご自身の深堀をしてこの要素を
導きだしてきました。

そして彼女は、「審査員特別賞」を受賞し。

浅野のもとを卒業して行きました。


(※表彰状を持つ矢野さんと)

(※卒業写真(最前列右が矢野さん)

当時のこの講座には。

「出版」の世界を志す人の上級講座がありました。

卒業プレゼンでその合否が決まります。

彼女はそのチケットを入手しました。
でももともと彼女は。
出版に興味があって浅野のところに来たわけでは
ありません。

その時に相談を受けましたけど。

その講座は浅野に「メール」という強みを見つけ出した師が
登壇する講座であり。

その講座に参加することで多くのブランド人と繋がることが出来る。

人生の流れを変えていくには。自分が出会う人。付き合う人を変えていくのが
一番の早道であることを彼女に伝えました。

そして彼女は。その講座へ進学を決めました。

この出版講座は6ヵ月間の長丁場です。

出版企画を作り上げ。
最後は敏腕編集者が審査員として並ぶ席で
卒業プレゼンを行います。

そして選ばれしものが。出版の世界に足を踏み入れて行く
という流れ。

彼女はここでも苦しんでいました。

メールでのやりとりしか情報はありませんでしたけど。
どんな状況かをよく報告してくれました。

そして、更に旦那さんの容体も悪化し、
講座の日に病院に行かなければならなくなったり。

講座をキャンセルせざる負えないときもありました。

そんな彼女の試練は続きました。

育ちざかりのお子さん二人を抱え。
旦那さんの看病。
通常であれば嘆き苦しむメールが届いてもおかしくない。

でも彼女はそんなメールを浅野に送ってきたことはありませんでした。

いつも明るく
「なんとかします」という前向きなメールばかり。

孤独だったことでしょう・・・

彼女は真面目な性格で。

それがとても彼女を苦しめました。

出版と言っても。その講座はただ出版出来ればいいというような
甘い出版講座ではありません。

「10年愛される」作家養成の講座。

最強のブランドを引っさげた猛者たちが
しのぎを削って磨き合います。

彼女は在学中もとても苦しみ。
いつもメールには「劣等生の私は・・」と枕言葉のように書き込まれていました。

この頃は浅野が何か力になってあげることも出来ないので
とても歯がゆい時期でした。

その中でも彼女は。
ひとつのテーマに絞り込み。半年間の訓練を終え、
いよいよ卒業プレゼンが近づいてきました。

2010年9月某日。

朝から雨が降っていました。
朝会社のシャッターを開けたときに
浅野の携帯に彼女からメールが届きました。

「夫が亡くなりました」

とうとうその日が来てしまいました。

神様は彼女になんと酷なことをするのか・・・
そのときはそう思いました。

彼女と出会ったときは余命3年と言われていたのに。。。
早すぎる・・・

しかも大事な卒業プレゼンを控えている1週間前に。。

彼女の短いメールには。
卒業プレゼンの企画についてのことや。
講座仲間に会う約束のキャンセルを伝えて欲しいと言うことが
書き綴られていました。

自身の気持のことが書かれていないんです。
そのメールを読んだ時には。

ぼう然としてしまって。
なんと返事を書いていいのかわからなかったです。

私は妻が生きています。

「その気持ちわかる」
「元気を出して」

なんて言えません。

その当事者でなければわからない苦しみ。
声がかけられない・・・。

そして彼女は。
この出版講座の卒業プレゼン参加を断念しました。

それから彼女からの連絡が途絶えました。

こちらからも連絡はできません。

このころにこんな写真を撮りました。

これは彼女が卒業した講座の後輩たちの卒業プレゼンの日に。
撮影したもの。

浅野の元で学ぶ現役受講生たちに協力してもらいました。
一日も早くみんなのもとに戻って元気な姿を見せて
もらいたい。

そういう思いからのことでした。

言葉ではうまく伝えられないので・・・

このくらいしか、
浅野の出来ることはありませんでした。

日が経つにつれて。

ポツポツと彼女からメールが届くようになりました。
彼女はその頃。

月1回、知的生産の勉強をする講座に通っていました。

そこで一生懸命勉強して、新しい自分の人生のステージを作り出そうと
頑張っていました。

このころ。

浅野がやっていた講座の同窓会が、ある卒業生が発起人となり企画されました。

その時に彼女は。
まだ厳しいので欠席を申し出て来ました。

下記はその同窓会の写真です。

でもここには彼女はいません。

そのメールの原文です

『先日、12月の会のご案内をいただきました。
浅野さん、ごめんなさい。
私はまだ皆さんに、いえ、浅野さんに会う自信がありません。
抜けかけの歯のようにまだグラグラしているからです。
浅野さんにあうと泣いてしまって、甘えそうだからです。』

孤独と将来不安。そして悲しみ。
その感情と彼女は戦っていたことでしょう。

ここでも
投げかけてあげる言葉がありません。
でも前に進むしかない・・・。

2011年2月20日。
彼女と会うことになりました。
このころ彼女は。

キャンセルしてしまった出版講座の
特例を認められ。

その当時の現役生に交じって
卒業プレゼンの参加を認められていました。

とても寒い日でした。
品川駅で待ち合わせしました

コメント

  1. SECRET: 0
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    出られないのでこのようなエントリーみるとますます歯がゆさ倍増(笑)
    矢野さんのご本、拝読しましたが、
    たんたんと書かれてる中に、朗らかさや優しさがにじみでていて、
    読んでるとそれだけで癒されました。
    人は華やかなところに目を向けて、あれこれ言いますが、
    その裏にあるものは、どうして壮絶ですよね。
    いやーすっかり最後まで真剣に読んでしまいました☆

  2. SECRET: 0
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    >まなか なつめさん
    彼女も安藤美冬さんも熊谷和美さんも鴫原弘子さんも。みな大変な思いを経て今のポジションにいます。彼女達であれば受講生を第一に考えて「成長」させてくれると確信して講師に抜擢しています。
    講師陣の年齢もキャリアもキャラもすべてバラバラ。これこそが受講生「多面的教育」が実現すると確信しています。 矢野さんはずっと見ていた女性なので存在も大きいです。お読みいただきましてありがとうございます!

  3. カズ より:

    SECRET: 0
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    はじめまして。Twitterでフォローさせて頂いており、毎回浅野さんのツイートやブログの言葉に励まされております。
    今回の記事は、スタバで一気に読み、涙が止まらなくなったので思わず書き込みしてしまいました。
    なぜ涙が出たのかはうまく説明できなくてもどかしいのですが、本当に良い記事でした。ありがとうございました。

  4. Naomi より:

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    渇の入る記事でした。
    私も頑張ります。自分を動かせるのは自分しかいないですもんね。
    とはいえまだまだ暗中模索ですが・・・(T_T)

  5. SECRET: 0
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    >カズさん
    ありがとうございます。カズさんの何かの感情にリンク出来たことをうれしく思います。矢野さんはキャスターという御仕事柄、みな華やかな世界と思いがちです。でもわたしたちと何も変わらないんです。たくさんのものを背負っていますし笑ったり泣いたりもします。この800日間は誰かの励みになる。そう思って彼女に了解を得てこの記事を書きました。カズさんの人生の何かのきっかけになれればうれしいです。矢野さんは素敵な女性ですよカズさんにも会っていただきたいですね。

  6. SECRET: 0
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    >Naomiさん
    がんばりましょう!矢野さんも最初に浅野のところに来たときは混とんとしていて苦しんでいました。みなが通る道ですもの。来週はいよいよ第二回講義。ビシビシいきますよ!

  7. akemiuchino より:

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    胸に迫る素晴らしい記事でした!浅野先生の香さんへ寄り添う愛、香さんの浅野先生への全幅の信頼…まさに必然の出逢いです!
    たくさんの人を救う使命をお持ちのジャンヌダルクのような香さん、私も大好きです♪

  8. SECRET: 0
    PASS:
    >akemiuchinoさん
    矢野さんを突き動かしていたものを
    浅野なり解釈して書いたものです。
    これは世に出るソースでは無かったことだと
    思いますけど、このエピソードが一人でも
    多くの人の勇気と行動指針のきっかけになれば
    と本人に打診したところ、掲載の許可をいただきました。ウチノさんのエピソードも。これからはじまりますね!楽しみにしています。

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